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11月30日~12月1日 第4回高須大会
堂々とした案内看板 11月30日。きれいに清掃された谷野邸の門に会場を知らせる案内看板もびしっと決まっている。4回目ともなると、さすがに退会運営も手馴れたものである。 | |
開会式の挨拶を述べる谷野席主 試合を直前にして、各選手の緊張の様子が写真からも伝わってくる。腕を振って熱弁の谷野席主。それをじっと見つめる各選手、話を熱心に聞いているようにも見えるが、後でどんな話だったか聞くと、ほとんどの者はよく覚えていないという。挨拶というものは、そんなものなのかもしれない。 試合は、B級、こども大会ともに、スイス式トーナメント5回戦で行われた。 |
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試合開始 待ちかねた対局の開始である。駒が振られ、先手が決まり、時計の位置も決まると、ビシッと第一手が指された。持ち時間は25分切れ負けであった。 この写真はB級戦のもの。手前から二番目の白い帽子は福山から馳せ参じた吉川さん。「え?吉川さんがB級?」と思われるかも知れないが、本来なら翌日のA級に参加すべき吉川さんだが、どうしても翌日の都合が7つかず、角落ちを条件にB級に参加することになったもの。 手前右、頭の輝きが一際鮮やかな小川武志顧問、「昔の仲間に久しぶりに会えると思って参加したんだが・・・」と残念がりながらも、やがて将棋に没頭した。 | |
こちらはこども大会 みんな張り切って試合に臨んでいる。対局姿勢も悪くない。日頃の谷野先生の指導ぶりがうかがえる。 | |
大詰めの子供大会 子供大会の進行は早い。どんどん対局は進んで行く。写真での紹介は控えるが、対局後の駒の整頓ができていないと谷野先生の雷が落ち、対局しているB級の選手たちがびっくりする一幕もあった。 |
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こども大会成績優秀者 優勝は5戦全勝の中村慶次(写真左)。名前はけいじだが、将来、刑事になりたいと思っているわけではない。 準優勝は結田駿一(写真右)。4勝1敗だった。唯一の1敗は1回戦の中村慶次戦だった。 3位は幼稚園年長組の鷹取尚弥(写真中央)。3勝2敗。2敗は中村慶次戦と結田駿一戦での敗戦だった。 なお、3勝2敗は、ほかに、井上晋太郎(4位)、川西彩遥(5位)、西尾宗真(6位)の3人がいたが、対戦相手の勝数総数が鷹取は17勝、井上は15勝、川西は14勝、西尾は9勝だったので、同じ3勝でも対戦相手が最も強かったとして鷹取が3位となったもの。川西は「5位以内に入らないと将棋をやめないといけなかった」と5位に入って胸をなでおろした。 |
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B級も大詰め 3回戦を終えて、全勝は吉川、藤里の二人だけになった。その二人が激突した。今日は角落ちで参戦の吉川だが、盤面を見ると角はそれぞれの駒台に載っている。あれ?と盤側が疑問に思っていると 「すみません、お互いの合意により、こういうことになっています。」 と申し訳なさそうに吉川が言う。察するに藤里の方から平手戦を所望したのではなかろうか。ただ、一人対戦相手がそれを望んだとしても、勝数を争う他の参加者にも影響のあることであり、内心不満に思う参加者がいたとしても不思議ではない。あったとしてもそういう不満を表に出すような参加者でもなかった。既に将棋は中盤戦であり、止めるわけにはいかなかった。審判長の対局管理上の落ち度ということになろう。反省。 |
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B級入賞者 優勝は角落ち戦4局、平手戦1局を相手を全く寄せ付けず全勝した吉川政男(写真中央)。 準優勝は一回戦の村上戦で負けたものの、その後くじけることなく勝ち進み4勝1敗となった宮瀬秀和(写真左)。 3位は3勝2敗の清田陽平( 写真右)。吉川戦と宮瀬秀戦での2敗であった。 同じく3勝の藤里 哲、宮瀬賢伸、小川武志が、対戦相手の勝数によって4位、5位、6位となった。 |
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12月1日、A級戦 明けて12月1日はA級戦。中国四国地方から強豪が32名、次々に馳せ参じた。まず4人づつA~Hの8組に別れての予選が始まった。写真は、予選の成績表。2勝通過、2敗失格で、各組から2名づつ、16人が決勝トーナメントに進んだ。 予選落ちした選手の内、希望者12名は親善戦に参加した。 |
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予選A組、B組 |
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予選C組、D組 |
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予選E組、F組 |
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予選G組、H組 |
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決勝トーナメント 決勝トーナメント進出の16人。右のブロックが特に実力者ぞろいの激戦ブロックとなり、1回戦から決勝戦のような組み合わせが続くことになった。「○○さん、僕と代わってくれませんか」と冗談も出るほどだった。 |
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親善戦の決勝 親善戦の決勝は峯政と塩見が激突した。先ごろ行われた中四国学生将棋大会個人戦で4強入りした塩見だったが、峯政が老獪な指し回しでこれを降し、優勝した。 |
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親善戦トーナメント表 親善戦もかなりのレベルが揃い、激戦となった。 |
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準決勝 右のブロックでは石井・貫島、左のブロックでは中脇・松井の4人が準決勝に進んだ。中四国地方としてもかなりの高レベルの準決勝といえないか。 写真は、その石井・貫島戦、先手の石井が119手目に打った8三金打ちに、貫島が投了の意思表示をしたところ。鮮やかな金打ちだった。 写真奥の、もうひとつの準決勝は、中脇・松井戦。134手で後手の松井が勝った。 |
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決勝戦 石井・松井の戦いとなった。矢倉模様の戦いは、石井が右四間飛車からつっかけ、飛車も切る猛攻に出た。わずかに松井に利のある分かれになったようだった。しかし、松井が微妙に相手の攻めを切らしそこなったようで、石井が細い攻めをつないで最後は寄せ切った。 |
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表彰 中央は優勝の石井、左が準優勝の松井。 準決勝で敗れた中脇・貫島は、中脇の帰りの時間が迫っていたため、3位決定戦を行わず、3位を分け合った。 |