第22回高木杯海の幸争奪将棋大会(2月24日)


“サイキョウ”メンバーで臨んだ高須クラブチームは・・・最強?妻恐?再狂?

いざ、米子へ
「第22回高木杯海の幸争奪将棋大会」(日本将棋連盟鳥取県西部支部、新日本海新聞社主催)が2月24日午前10時から、米子市両三柳の新日本海新聞社西部本社3階ふれあいホールで開かれ、140人ほどの参加であった。高須クラブからは昨年に続く参加であったが、昨年の2チームは1チームに減っていた。団体戦Aクラスは予選を3勝で2位通過した松江チーム“川本”(狩野・川本・岡)が優勝したが、わが高須クラブチームは・・・
初めての正確な時間
2013年2月24日の朝の6時10分ほど前だった。坂本が玄関の鍵を締めて外に出ると、外はまだ真っ暗だがきれいに晴れているようだった。北斗星はカップを下に柄を垂直に立て、南天にはさそり座が輝いていた。気温はかなり低い。しばらくすると、向こうの山のシルエットがはっきりして空が若干明るくなったような気がしたそのとき、眩しいヘッドライトをつけた車が一台やってきて、音もなく停った。山口であった。挨拶を交わしながら坂本は車に乗った。車内のデジタル時計は「5:59」を示しており、車が動き出すと「6:00」になった。約束きっかりの時間だ。「7時でいいでしょ」という山口を「間に合わん、6時」とすったもんだの末に決まった時刻。坂本は、四十年を超える山口との付き合いで、これほど時間に正確だった山口は初めてだった。助手席で坂本は運転している山口の方にクイッと向き直り、両肩を掴んで「どうしたん?どっか悪いん?」と問いただしたい衝動を抑えていた。これは、山口絶好調の表れなのか、それとも、この日どこかで大きなポカをやらかす予兆なのか。吉か凶か、それが問題。
それは最強ですね
西風新都ICから山口号は順調に東城を目指して進んで行った。三次を過ぎたあたりから雪がチラツキ始め、ついに路面が真っ白になった。ここはまだ冬、山口号は速度を落とさざるを得なくなった。予定より15分ほど遅れ7時45分頃に到着した東城は、山、家の屋根、そして路面も、一面の雪景色だった。東城駅から国道314に向かう道、前方で上原が手を振っていた。3人が揃ったところで運転は坂本に交代、米子に向かって出発した。182号線から岡山県に入り新見から180号線で鳥取県入りするルートを取る。 車内での話題は、山口が「最強の二人を揃えた」と、3人目を上原に出場打診したときの話からだった。二人の名前を聞いて上原は「それは最強ですね」と感想を述べつつ、出場を快諾した。「強い人が出るならそちらのチームに入れて」との追伸が届いたことに話が及ぶと爆笑となった。
上原は、この“サイキョウ”メンバーならB級がいいと言いつつ、AでもBでも、自分は全部勝つつもりだから、山口・坂本は0.5勝、合わせて一勝の責任を果たすよう求めた。車内は上位入賞、海の幸賞品獲得への可能性をいっぱいに含んだ空気につつまれた。坂本は一面の銀世界を前に向かって運転しながら、どこか「優勝」の話題は開幕前に限られる最近のカープと似ているような気がしたが、それは口にできなかった。上原は山口に「運転は交代したのだから『運転で疲れて』などといういいわけは通用しませんよ」と念を押した。
181号線を乗り継いで米子自動車道経由で、米子市の新日本海新聞社西部本社に着いたのは9時40分だった。
会場には高須クラブ会員だった松本敦氏の姿
日本海新聞社ビルのホールは去年より少な目といいながらも参加選手があふれていた。その中に広島から鳥取に転勤となって以後も何かと高須クラブへの支援を欠かさない松本敦氏の姿があった。「谷野さんに聞いたら今回は出場できないとのことだったですが、来られたんですね!」と、一年ぶりの再会を喜んでくれた。見渡すと、昨年に比べて参加者がやや減っている。特に昨年目立った若い女性の参加者が今年はごく少数になっている。参加申し込み時、クラスを聞かれ、山口に少し迷いが生じたが、「広島から来られたのでしたらA級にしてください」と言われA級で戦うことになった。昨年10チームだったA級は6チームになっている。4チームが決勝トーナメントに進出する、落ちるのは2チームだけなのだが・・・
海の幸の山
会場に陳列された賞品の山。松葉ガニもあれば甘エビもある。参加賞のイカも。勝負が始まっていない今なら、参加者誰にでもこれを受け取る可能性がある。今なら・・・。 やがて試合が開始された。持ち時間は30分切れ負け。
「大会で初めての王手飛車」(山口談)
終了後、うーんと首を傾ける大将の上原。腕組みをして唇を噛む副将の山口。坂本は勝ったものの、鳥取支部との対戦は、××○で敗れ、初戦を落とした。山口は中盤の難所で痛恨の王手飛車、飛車の素抜きを喰らった。右図のように玉を6二におびき出されたとき、次に3五角とされる手に全く気づかなかったという。今まで数々の大会に出場し、二步をしたことはあるが、王手飛車に気づかなかったのは初めてだと。あ~、朝の全身時計でできているかのような山口の姿は、この大抜けの前触れだったのか。
れれ?連敗スタート
第二戦は、西中東戦。坂本が惜しい将棋を落として敗れた。自玉が詰むことに思いが至らぬ3三步成の敗着が写真に写っている。4三桂成らずだと同金の一手に、3二銀、同飛、同と、同玉、4三馬以下詰みがあったのだが、それも後で考えるからわかるのであって、力不足だった。大将、上原の顔には生気が戻っておりこの後すぐに相手が投了した。そのとなりのうつむいて腕を組む姿勢の山口は終局直前。相手の持ち時間は18秒、自分の持ち時間は2分余りで、時計の方は有望だったが、この後詰まされてしまった。この日は朝から時計に関しては鬼門なのだった。○××でチームは連敗。
恥ずかしがった?大山
連敗して、遠くの方の景色が見たくなって中国地方最高峰、大山の勇姿を望もうとしたが、恥ずかしがり屋の大山はその美しい姿を見せてはくれなかった。このあたりからの眺めを「伯耆富士」といい、宍道湖北岸など出雲地方からの眺めを「出雲富士」と言うと坂本が知ったかぶりをすれば、山口が「出雲富士など初耳だ」「大山は鳥取県の山であり出雲が盗んではいけない」と反論した。今日は“初”がつくことの多い山口であった。
予選最終戦第三戦は竜棋会Aチーム
坂本がねじ伏せられて投了したとき、山口はがっくり肩を落としていた。その横で自分は勝ったものの副将・三将の負けっぷりを見て唇を歪める上原。第三戦は○××でチームの三敗、予選落ちが決まった。成績表を見ると、3人のうち誰でもいいからもう1勝さえしていればチームにも1勝がもたらされ、個人勝数・大将勝数によって予選は通過できたことがわかる。その「あと1勝」ができない、それが勝負というもの。
竜棋会Aの藤原さんらと記念写真
「たら」「れば」は勝負にとってしようのないことだが、この人がここで勝っていたらチームは勝利できたという将棋を負けることを“敗戦責任選手”と言うなら、その回数は山口は3局全部、坂本は2局、上原は1局で、個人の負け数と一致した。いかに惜しい敗戦だったかを示す。特に山口は、どこでもいいから1回勝てば良かった。そうすれば予選を通過し、3位決定戦はないので3位入賞となり、海の幸が転がり込んできていたのだ。あ~、1勝が・・・ 参加賞のイカをもらって早々と退散の高須チーム。帰りは183号線で。東城で早い夕食を食べながら反省会。東城を5時過ぎに出発、高田ICあたりで6時になった。朝6時は真っ暗に近かったのに、夕方の6時は夕焼け空で明るかった。なぜ朝の6時と夕方の6時で明るさがこんなに違うのだ?そこには意外な事実が・・・でも、この筋違いな話題はそれは筋違いのページに譲ろう。


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