中国職域団体戦(2月10日)、呉団体戦(2月17日)
毎年2月は団体戦の月。今年も中国新聞の職域団体戦と呉団体戦に、高須クラブは代表を送った。  


職域団体戦(2/10)

第19回中国将棋職域団体戦の開会式。今年は、職域の部がA級~C級が各8チーム、D級が10チームの計34チーム、フリーの部がA級8チーム、B級10チームの計18チーム、総合計で52チームの参加であった。ジリッジリッと参加が減ってくる中で、高須クラブからフリークラスに6チームを出場させた意義は大きい。高須クラブメンバーはフリークラスでは、別のチームの一員として参加した選手も少なくなく、職域の部でJR西本OBチーム①②、広島損保チームとしても参加しており、50人前後の選手を送り込んで大会の成功に大きく貢献している。
これが広島損保チーム。職域B級にエントリー、A級昇格が悲願。右から山口節雄、谷野信治郎、山田正満、小川武志、和田浩義の各選手。今年は和田さんの活躍が光った。しかし、高須クラブのベテラン連中には、案の定いろいろあって、予選は全敗、決勝トーナメント進出ならず。親善戦は一回戦勝って2位。
となりの時計を押す・・・先手後手は大将が振り駒で決め、副将以下は交互になるので、普通は時計が両脇に存在することはない。小川さんが先手になったとき、相手は左利きで、後手として時計の位置を左、小川さんから見れば右にした。小川さんの左には左隣の対局時計が裏向きで置かれているが、小川さんは指した後、右の自分たちの時計ではなく左の時計を押してしまった。それを二度繰り返したものだから審判を呼ぶ騒ぎになった。さすがに反則負けにはならなかったものの将棋は負けとなった。勝敗と関係の有無は定かではないが気持ちの上で何らかの動揺を生じたのは間違いない。
王手放置・・・“本物の”筋違い角はこの度は現れなかったらしいが・・・。例によって王手放置をしたお方も出現した。一度ならず二度までも。ま、考えてみればいつもの普通の出来事なので、わざわざ名前を出して紹介するほどの話ではない。
対局開始の合図を静かに待っているJR西日本OB①チームの面々。右から、前角富雄、藤村 功、山田真二、寺西久雄、久川 貴の各選手。職域の部で不動のA級にランクされている。
こちらは職域の部B級のJR西日本OB②チーム。左から、野津富夫、中山達也、徳田顕文、中本哲也、国元哲夫の各選手。①チームと同じく、対局開始を待ちかねている。
予選で勝ち星に恵まれず、親善トーナメントに回るも、一回戦敗退した。
フリーの部B級一回戦は高須クラブチームの同士討ちとなった。左の高須クラブ③は、手前から金野純一、宮瀬秀和、麻生文明、岩岡和雄、植田宏行の各選手。右の高須クラブ⑥は、子供教室メンバーで、手前から永田成亜、永田詩門、結田駿一、植田聖猛、大下友裕の各選手。
高須クラブ③は2勝1敗で予選を通過したが、決勝トーナメント1回戦で敗退した。個人では4局中、宮瀬(秀)が4勝、植田(宏)が3勝、金野が2勝、麻生・岩岡が1勝した。
高須クラブ⑥は勝ち星に恵まれず親善戦に回り、1回戦で敗退した。個人では4局中、永田(成)・植田(聖)が1勝した。
右が高須クラブ⑤チーム。これも子供教室メンバーである。手前から岩井正広、東岡愛実、中田実希、池上照志、森松健太郎の各選手。見事予選を通過、決勝トーナメントに進んだが、一回戦で敗退した。個人では4対局中、岩井・森松が2勝、東岡(愛)・中田が1勝した。
左端が高須クラブ屈指の強豪、柿本雅之選手の余裕の表情。この日は勤め先の広島総合卸センターチームの大将として参加。
左側、やはり子供教室メンバーによる、高須クラブ④チーム。手前から、藤本智也、宮瀬賢伸、西尾宗真、東岡拓海、川西彩遥の各選手。フリーの部B級で予選では勝ち星に恵まれなかったものの、親善戦1回戦で初勝利した。1勝もできないことも覚悟で出場の子供教室チームであるが、5戦の内で藤本、宮瀬(賢)、東岡(拓)の3選手が2勝して意地を見せた。
高須クラブ②、向こうから初田隆宏、坂本 裕(空席)、黒原法明、津賀雄大、小高慎之輔の各選手。フリーの部A予選で3敗して親善戦に回り、「乱戦!」に勝ったものの「チーム曽川」に敗れた。個人勝敗では5局中、初田・津賀・小高が2勝、坂本が1勝だった。
2局戦い終えたところで昼食休憩。チームの代表が別室に行き、弁当を受け取った。
「お茶は?」と聞いたら、「多いお茶ですが・・・」と説明してくれた。「いえ、多くなくていいです」と言いながら、近くにあったそんなに多くはないサイズのお茶パックを『この量でいいんだよ』とつぶやきながら素早く5個取って席に戻った。多いお茶を押しつけられる前に・・・
欲張って大きなつづらを持ち帰った婆さんがひどい目にあった『舌切り雀』の話は記憶に残っているのだ。
もらったパックをよく見たら伊藤園の「おーいお茶」だった。
高須クラブ②の5人全員が敗れた廿日市と金クラブ戦。手前は大将同士の初田・植田戦。植田氏は前日高須クラブの例会に顔を出し、そのまま一泊して大会に臨んだ。高須クラブ会員でこの日は廿日市と金クラブの四将、寺尾氏の顔も見える。
(真っ先に早々と投了して写真なんぞ撮っているヤツは誰だ!)
高須クラブが自信を持って送り込んだ高須クラブ①チーム。左より貫島永州、山田康弘、塩見晴義、中谷 茂、石井紀彦の5選手。“打順”はじゃんけんで決めたというが、予選はメンバー全員が勝ち続けて3戦3勝で決勝トーナメントに進み、一回戦も5-0で勝ち進んだ。決勝戦は予選を5-0・3-2・5-0で勝ち進み、決勝トーナメント1回戦を4-1で勝ち上がってきた廿日市と金クラブと激突、壮絶な闘いとなったが、2-3で惜しくも敗れた。
個人の勝ち星は、5局で、貫島・中谷が5勝、山田・塩見・石井が4勝で、個人勝ち数の合計では22勝と、廿日市と金クラブの20勝を上回っただけに惜しい敗戦だった。

呉団体戦(2/17)

第18期呉将棋団体戦は2月17日、呉市のつばき会館で開催された。つばき会館の周りにはつばき会館にふさわしく椿(つばき)が、いや山茶花(さざんか)だ、が今を盛りに咲いていた。椿?山茶花?どう違うんだ?どちらも分類上はツバキ科ツバキ属なので似ているのは当たり前かも知れない。椿は散るとき花ごとまとまってボトッと落ちるのに対し、山茶花は一枚一枚ばらばらに散るそうだ。今日の団体戦、つばき会館だからと言って椿のようにまとまって5人全員が枕を並べて討ち死にするようではいけないが・・・。
開会前の記念写真。右から山口節雄、宮瀬賢伸、宮瀬秀和、藤本智也、坂本 裕の5人。
高須クラブチームはB級にランクされた。まず一回戦は宮瀬秀・坂本が勝ったが2-3で惜しくも負け。初戦を落としたのは痛かった。第二回戦は宮瀬賢・宮瀬秀・山口が勝ってまず一勝目。
二回戦までは宮瀬賢・宮瀬秀・藤本・坂本・山口の順だったが、2敗した藤本君の申し出により順番を変えることになった。「このままではいけない」という藤本君の責任感の強さが感じられた。自らは五将に退いて、宮瀬賢・宮瀬秀・坂本・山口・藤本の順となった。メンバー表も自らが記入。山口さんの名前のところですぐには正しく漢字が思い浮かばなかったが、少考の後「せつお」と平仮名で書いた。周囲から「一年生じゃないんだぞ」などの批判の声も起こったが、毅然とそのまま通した。短時間で書類を仕上げるために100点ではなくても70点で通す、的確な決断力を示した。これなら勝てる!そんな気がした。実際、第四局目に勝った。よかったよかった。
最終局。この日、大将の重責を担ったのは宮瀬賢伸。対局開始前の振り駒で先手後手が決まる度に、「二将と四将は先手、三将と五将は後手だよ。間違えちゃいけんよ」と指示を飛ばす。相手チームから「しっかりした大将だね」と声がかかった。しっかりしているのは対局前の声かけだけじゃない。将棋の方も3勝2敗と勝ち越して責任を果たした。この大将が勝ったときチームも勝ち、大将が負けたときチームも負けた。まさにチームを代表する存在だった。因みにその兄の宮瀬秀和も5戦5勝の大活躍であった。一方、オジサン組の山口・坂本は、並んで座って団体戦を戦うのは40年以上前の学生将棋から続いていることで、感慨深いものがあったが、成績の方は3勝と4勝、合わせて7勝では物足りぬ成績だった。そのため、チームとしては3勝2敗で3位で、入賞を逃した。子供教室メンバー全員が大人たちを相手に1勝以上挙げてがんばったのに対して申し訳ないことだった。
会場を去る前に宮瀬さん・藤本さんの両お父さんにも入ってもらって記念撮影。親子って似ているものなんだね。すぐわかる。


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