升田幸三杯将棋大会
二十回記念大会は三次市の十日市きんさいセンターで200人を大きく上回る参加で開催された


       
JR三次駅の西側に昨年あたらしく完成したコミュニティセンターはきんさいセンターと命名されている。そこで第二十回記念升田幸三杯将棋大会が開催された。朝8時半過ぎには続々と車が集まってきた。駐車場案内の警備の人たちも忙しそうだ。
受付が始まった。たくさんの選手でごったがえしている。寺尾、峯政浩、板垣、柿本、貫島らの姿が見える。一番手前の列はS級の受付だ。
受付をする係りの人の中には赤ちゃんを背負ったお母さんの姿も。こうした人たちの姿が数多く見られた。多くの人びとの協力でこの大会が出来上がっていることがわかる。
開会式が始まった。写真の左手、立って並んでいる人たちは、その多くが参加した豆棋士たちのお父さんお母さんたち。子供や女性の参加がしっかり得られている点は心強い。この写真では解りづらいが、入口付近で早速活発な動きをしているお方を発見した。早速ズーム・アップして撮影したのが次の写真である。
肩に下げたバッグ姿が凛々しい谷野。中谷茂氏と談笑していたかと思うと、その鋭い目は会場に並ぶ豆棋士たちに向けられた。ちょっと失礼な言い方になるが、許してもらおう、谷野は、その実際の棋力より免状(三段)の方が先行しているかもしれない。谷野の努力により周りで将棋が少し盛んになったとしても、それで何か個人的に利益が得られるわけでもない。かつてウエスタン・リーグで本塁打王・打点王に輝いた近鉄バッファロウズ時代に比べれば、いかにも地味である。それなのにほとばしる将棋普及にかけるこの情熱。いったいどこからくるのだろうか。
清水豊記初段(小5)も対局開始を待っている。他に、藤本智也4級(小3)、結田駿一8級(小2)ら、高須クラブのちびっこ棋士たちも多数も参加していたが、写真で紹介できず、申し訳ない。
定刻を10分余り遅れて対局開始となった。写真はS級の対局列。持ち時間は20分と秒読み30秒(他のクラスは30分切れ負け)。このあたりの数面だけは将棋盤に厚みがあり、駒台もついていることに注目しよう。わが山口は一回戦上原と当たって同士討ちになった。その向こう右に島根の柳浦氏の顔が見える。その向こう左は越智、さらに向こう右は山口県の田中氏も指している。
この秋開催の全国囲碁将棋大会(しんぶん赤旗主催)の各地区大会・広島県大会の成功に東奔西走する山口は、大会参加者を募るべく、県北地域の公民館の囲碁や将棋のサークルめぐりをしつつ、三次に前泊してこの大会に意気込み高く臨んだ。(弟さんも大阪から合流、生まれて初めての将棋大会参加だと)
高須クラブのホームページいつも見ているという島根の峰谷氏は、松田さんに「あなたはA級はダメ、S級に出なさい」と言われたが、「見ればS級には山口さんが出ていたので、S級とはシニアのことかと思った」と。三回戦は1勝1敗同士で峰谷・山口戦となったが、この一言が効いたか効かぬか、山口が一旦は優勢になるも、最後は峰谷氏が制した。山口は所要のため三回戦を終えたところで退席。峰谷氏はその後もわが貫島をやぶるなど高須クラブの面々にかなり痛い目に合わせてくれた。
会場の端ではプロ棋士による指導対局も行われた。写真は船戸陽子女流二段の指導対局風景。
昼過ぎ、突如として笛・太鼓の音が響き渡った。舞台でこども神楽が始まったのだ。「ひまわりこども三次神楽団」だ。演目は「葛城山」。写真は、侍女に化けていた土蜘蛛の精魂が正体を現したところ・・・耳まで裂けた赤い口元が実に怖い!!
大和の国(奈良県)を一望するのが葛城山、大和朝廷の頃から天下を乱そうと隙をねらう土蜘蛛族が棲みついていた。都は奈良から京へ移り数百年、時は平安絵巻のごとく過ぎていた。
都の守(まもり)、源頼光(みなもとのらいこう)が病に伏し、侍女(じじょ)胡蝶(こちょう)が、典薬の守(てんやく=医者)から薬をいただくが、頼光の館へ帰る途中、土蜘蛛の精魂に襲われ命を落とす。そして胡蝶に化けた土蜘蛛の精魂が薬を毒薬に換えて頼光に差し出す。これを飲んだ頼光は体中がしびれて七転八倒の苦しみ。その頼光に「体の加減はいかがか?」と問いつつ土蜘蛛の精魂が襲いかかる。頼光は、源家に代々伝わる「膝丸(ひざまる)」という家宝の刀で防戦。土蜘蛛に一太刀浴びせると、土蜘蛛の精魂は傷を負って大和・葛城山へ逃げ帰る。
頼光は、危ういところ我が身を救った膝丸を「蜘蛛切丸(くもきりまる)」と名を改め、四天王の一人・卜部季武(うらべのすえたけ)に授け、四天王に葛城の山へ土蜘蛛退治に向かわせる。四天王(渡辺綱・坂田金時・碓氷貞道・卜部季武の4人だが、神楽では卜部季武と坂田金時の二人しか登場しなかった)は、土蜘蛛の残した血痕を目印に辿り着き、土蜘蛛の妖術に悩まされながらも、蜘蛛切丸のご神徳を得て、無事に退治する。
と、話は面白いが、面白くないことも伴っていた。中谷茂氏は「将棋が秒読みに入ろうかというときに突然の笛太鼓。秒読みの音が聞こえなくなった。盤面に集中していたら時間切れになりそうだし、時計に注目したら盤面に集中できない、パニックになった。腹が立ってしょうがない」と憤懣遣る方無い様子。将棋大会で神楽の上演は斬新な試みだが、その取合せはかなり難しい点もあるようである。
会場の前方に陳列された賞品の置き駒。これだけ並ぶと壮観ではある。
2勝1敗同士でぶつかった越智・中谷戦は、序盤の駒組みを終えて、互いにがっぷりの角換わり相腰掛け銀の陣形から、中央で銀がぶつかったところ。銀がぶつかり合う音をイメージしてガッチャン銀ともいうそうだ。互いに懸命に考えている。結果は中谷勝ち。後ろでは指導対局が行われている。
1勝2敗の初田、第4局に挑む。将棋はすでに終盤戦。初田はこれに勝って2勝2敗の五分となった。
向こうに見えるのは津賀。
先の写真を角度を変えたのがこの写真。津賀はこの第四局を勝って本日の初勝利。S級はなかなかレベルが高そうである。
後ろはずっと指導対局だが、桐谷広人七段の姿が見える。
こちらは峯政浩実の第4局。これに勝って2勝2敗と五分にもどした。
A級にエントリーの久川(手前左)、吉川(その向こう)の第4局。吉川は続く第五局まで1敗を守り、A級優勝をかけて最終局に臨むも惜しくも敗れた。
同じくA級にエントリーの谷野、対局もそこそこにせわしなく会場を行き来していたが、ここで糸谷六段の指導対局に臨んでいるところが発見された。
谷野のこの“消息”教えてくれたのは、高須クラブが誇る強豪、柿本だった。柿本も前泊組で、昨日は糸谷六段に平手で指導対局してもらい、勝ったそうだ。ただ、この日三局目で2敗してしまったことを残念がった。
谷野は、糸谷六段とのこれまでの対戦成績が指し分けというのが自慢の一つ。20年近く前、糸谷少年がまだ幼稚園児だったころ初手合わせで勝利したが、次に対戦したときはもう強くなっていて敗れたという。このとき糸谷少年は、頭一つようやく机の上の盤面の上に出た程度の身長で、背伸びをするようにして指していたが、一手指すとすぐ席を外し、相手が考えている間、将棋大会の会場を走り回っていたそうだ。それじゃまるで指導対局で多面指ししているプロ棋士の雰囲気ではないかと話を聞いた者は思った。その対局が終わると「おじちゃん、この手が・・・」と、超短時間ながら的確な感想戦があったそうである。してみるとこの指導対局は谷野から見れば、1勝1敗後の決着をつける勝負だったのかも。この勝敗がどうなったのか誰も教えてくれない。
ここもS級第四局。手前から2勝1敗同士の貫島・上原戦。次が3連勝同士が激突した柳浦・石井戦。その向こうに峯政隆文がやはり3戦全勝で4局目に挑んでいる。
石井は第三局目島根の藤井氏に勝った上で今度は柳浦氏との激突なのだった。
「女性の部」にも11人がエントリー、熱戦を展開した。優勝者は全国大会に出場することになると。
 並んで対局していた峯政隆は惜しくも敗れ3勝1敗となった。石井・柳浦戦は終盤のねじり合いとなている。石井が押しているようだが、柳浦さんも簡単には土俵を割らず、あの手この手で石井玉に迫り、石井がこれを凌ぐという応酬が続いている。
となりの上原・貫島戦は貫島が勝って3勝目を挙げた。  
 観戦者がひしめく中、ついに柳浦さんが投了。奇しくも同じように右手を頭にやっている動作が面白い。これで石井、4戦全勝で5局目に挑むことになった。
となりから貫島が「え〜?負けちゃったの?」と柳浦さんを睨んでいるようにも見えるが、気のせいかも知れない。それとも心の中で「3勝1敗同士になりましたね」と言っているのか?
結局、S級は、第三局目で早くも1敗したものの、その後着実に勝ち進み、1敗を守りきった山口の田中佳久氏が優勝した。  
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