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久しぶりの高須クラブ合宿
高田ICから中国道に乗り直し、江津駅前には昼過ぎに到着。喫茶店で昼食をとった後、島根県立少年自然の家に着く。自然に囲まれたかなり立派な施設であった。中では石見支部の合宿が楽しそうに行われていた。 |
会場では、篠原ももが強豪に胸を貸してもらって腕を磨いていた。 |
島根県の強豪、峰谷 茂氏との対局の機会を得、うれしそうな表情の大島彩華。それに負けずにうれしそうな顔の峰谷氏だが、松江市で月2回の将棋教室を主催、大勢の子供たちを教えているが、着実に参加者も増え発展しつつあるようだ。 |
会場ではペアマッチが行われていた。一方は2人、他方は3人でも対戦もできるというのが大変ユニークで柔軟な運営だった。棋力にバラツキがあっても楽しめ、棋力が低い者にとっても「こんな局面ではそんな指し方をするのか」と勉強になるかもしれないとか、いろいろ優れた点がありそうな方式であった。 |
山口節雄氏と久しぶりの再会。とても元気そうだ。江津市のお隣の川本町は山口氏の生まれ故郷だが、そこで町会議員として町民の権利や暮らしを守るために飛び回る傍ら、囲碁・将棋道場の運営と高須クラブ時代よりさらに活躍の量と質を上げて大奮闘中。 |
高須クラブ女子ホープ、大島彩華・篠原ももと並んで記念撮影 |
峰谷氏の里見香奈女流五冠の話題が止まらなくなった。峰谷氏は、家庭では「あなたは一体誰の親?」と鋭いことばを浴びることもあるほどの熱心な里見香奈ファンでもあった。 |
大橋貴光四段が到着。あいさつがあった。 オジさん一行は、4時頃、少年自然の家を退出、山道を美又温泉に向かった。乗越事件の教訓を活かし、ナビに目的地を登録。おかげで見知らぬ道でも安心だった。 |
宿は美又温泉「みくにや」。昼、江津駅前の喫茶店で昼食をとった際、谷野会長が「将棋盤と駒を用意して欲しい」「2組用意して欲しい」と電話したものだが「1組しかない」とのことだった。部屋に通されると、将棋盤は2組用意されていた。 盤は2つだが、駒箱は5つもある。なぜ???3人は首をかしげた。写真の右端、そんなことに少しも動ぜず、用意されたお茶に手を伸ばしている御仁は誰? |
駒箱の一つを開けると、盤は2つなのに駒箱が5つもある理由がわかった。不揃いなのだ。中には紙に手書きの駒まである。揃った駒を40枚並べるのに、複数の駒箱を開ける必要があった。 |
夕食までに1時間あまり余裕があった。温泉に行くのではなく、車内での話題の一つとなっていた藤井聡太四段の将棋、羽生三冠に勝った将棋を並べてみることになった。「ここはこう指すべきだ」「そうじゃない、こう指すところだ」と駒たちが文句を言わないのを良いことに、勝手な読み筋、奇想天外な筋が次々に登場、1時間はあっという間に過ぎた。藤井四段のすぐに駒をぶつけて行く喧嘩早さ、中盤の難所で拠点にど~んと手駒の金を打ち据えて局面をリードする指し方の強烈な指し方が3人とも一様に印象に残った。 |
新鮮な海の幸がテーブルの上に所狭しと並べられていた。それを前にして、谷野会長の熱弁が再会された。長い話だがその要旨を手短に紹介しよう。 将棋のパイは恐ろしく小さくこのままでは衰退する。頼みにしてきた新聞はいずれ消える。対策を打たねば日本将棋連盟もやがて破綻する。棋士を中央に集めるのではなく、地方に配置し、地方から将棋普及を進めるべきである。将棋連盟の理事も棋士だけで独占するのでなく外部から有用な人材を登用すべきだ。 |
夜空は広島の空とは違い、余分な光がなく、たくさんの星が輝いていた。写真の右上に一際明るく輝いているのは、東の空から昇ってきた木星。 |
北の空に目をやると、北斗七星の柄杓が横になっていた。その下には北極星。 |
30分ほど眺めていると、北斗七星は北極星を軸にゆっくり右から左へ回転して行った。 |
部屋に戻ると、リーグ戦が開始された。 「対局の様子を写真に撮ります」と言うと、谷野会長がスックと立ち上がり、鏡の前で「髪の毛が乱れていてはいかん」と櫛で頭をなで始めた。 それを黙って見送っていた小川顧問が呟いた「ある人はいいなぁ」 3人で大笑いとなった。 リーグ戦は深夜まで行われたが、小川○○、谷野○●、坂本●●で小川優勝となった。 |
翌日の朝食事。食事の世話をしてくれている女性に会長が年齢を尋ねた。 「あなたは65歳から70歳くらいに見えるが本当は70から75の間位でしょう?」とやった。「62歳です!」「そんなに年に見えるのかしら・・・」と返ってきた。 「いや、若々しくて生気に満ちているからそういったんです」とフォローにもならないことばがさらに・・・ 二人は「この人とは知り合いでも何でもない」と席を移動したくなったが、今更そうも行かなかった。 帰りに石見銀山に立ち寄った。 |
風情のある街並みが保存されていた。 |
川本町の「石見銀山囲碁将棋道場」(山口さん宅)に立ち寄った。やはり山口さんは留守だったが、立派になった看板の写真を懸命に撮っていた。 |